第7回公開講演会・萩原さちこ氏「東北の城の楽しみ方」(4月22日)

 平成30年4月22日、総会終了後に公開講演会が開催され、会員以外の方も含め109名が参加しました。
 テーマは「東北の城の楽しみ方」、講師は城郭ライター・編集者の萩原さちこ氏でした。

 こちらから当日の配布資料(PDF。0.2MB)がダウンロードできます。

 萩原氏のお話の概要は以下のとおりです。
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萩原氏
講師の萩原氏
1 はじめに〜天守の誕生と城のイメージ〜
 お城というと「天守」のイメージが浮かびますが、「天守」は織田信長が天正4年(1576)に築いた安土城が日本初とされてきました。ただし、安土城では「天主」と表記されます。
 しかし、信長が安土城以前に築いた小牧山城や岐阜城の最近の発掘調査により、もっと早いのではないかという説も出されていますが、いずれにしても、信長以降です。

 戦国時代の城には天守はありませんでした。
 高い石垣、水堀、天守のある城は、主に関西で、信長から秀吉、家康に受け継がれました。

 東北にも会津若松城、盛岡城、白河小峰城など、いくつか天守を持つ城がありますが、これらは秀吉や家康の権力下で造られたものです。

2 城の歴史
 弥生時代、吉野ケ里遺跡などの環濠集落が作られました。
 環濠集落は、周りに堀を作り、掘った土で土塁を作り、柵を立て、物見櫓を建てるなど、軍事施設の性格を持っていました。

 古代には山城が造られました。
 白村江の戦いで敗れた後、新羅と唐の連合軍から大宰府を守るために築いた大野城や対馬の金田城(かなたのき)がその例で、百済の技術によるものです。

 古代東北では、山城ではなく、秋田城、多賀城、紫波城などの城柵が設けられました。

 これらにはもちろん「天守」はありません。
 南北朝時代には、戦いのための山城が築かれました。楠木正成が鎌倉幕府軍と戦った千早城などがあります。

 この時期から城が本格的に軍事施設として発展しました。
 戦いは高い場所にいる方が、相手の動きが見やすいこと、武器の殺傷力が強いことなどから有利です。
 そこで、高低差を利用した急峻な山城が築かれました。山岳寺院を改造したものもありました。

 戦国時代には、用途や地域によって様々な規模、構造の城が築かれました。
 大名の居館を要塞化した城としては、吉田郡山城(広島県)、春日山城(新潟県)、桑折西山城(福島県)、向羽黒山城(福島県)などが挙げられます。

 戦国大名は本城の他、支城を築きました。国境の城、兵糧を置いたり兵が宿営する城、狼煙を上げる城などがあります。  支城がどう機能していたのかを考えるのも面白いでしょう。

 この時期の城にも「天守」はありませんでした。

 織豊時代には、現代人がイメージする形の城を信長が作り、秀吉がそれを受け継ぎました。安土城、豊臣大阪城(ただし、現在残っているのは江戸時代のもの)などです。

 江戸時代に築かれた城は多く残っていて、観光地化されています。
 姫路城(兵庫県、1601〜)、彦根城(滋賀県、1608)、仙台城(宮城県、1602)、白石城(宮城県)などです。
3 中世の山城
 中世の山城は、全国に3万〜4万くらいあったといわれます。10万との説もあります。

 中世の山城を構成するものを紹介します。
  • 曲輪(くるわ) 建物を建てた平坦地を曲輪といいます。近世では「丸」といい、本丸、二の丸、西の丸などと呼びますが、中世の城では本曲輪、一の曲輪などといいます。
  • 土塁 土を盛って作った土手を土塁といいます。
  • 空堀(からぼり) 水が無い堀です。
  • 堀切(ほりきり) 堀の一つで、尾根を断ち切ったものです。
  • 横堀(よこぼり) 山の斜面に平行に作った堀で、敵の縦移動を防ぐのが目的です。
  • 竪堀(たてぼり) 山の斜面に垂直に作った堀です。敵の横移動を防ぐのが目的で、複数並んだ連続竪堀もあります。
  • 切岸(きりぎし) 曲輪直下をほぼ垂直に削った断崖絶壁です。
  • 土橋(どばし) 土を掘り残した細い通路です。ここにいる敵は攻撃しやすいです。
  • 枡形虎口(ますがたこぐち) 曲がった出入口です。
  • 馬出(うまだし) 虎口前面の攻撃用スペースです。

 これらのパーツを組み合わせ、「縄張り」と呼ぶ設計をしました。
 そして土木工事で完成させました。

 どう敵が攻撃したのか、どう守ったのかを想像するのが城を見るポイントです。
 山城をいくつか見ていきます。

 会津美里町の向羽黒山城は大規模な堀切、巨大な竪堀、無数の曲輪など見どころ満載です。

 栗原市の姫松館は現在は森林公園になっています。遺構がよく残り、見どころが多いです。

 川崎町の前川本城は、砂金氏による16世紀の築城です。曲輪、土塁、横空堀。二重の空堀、複雑な虎口など、コンパクトですが技巧的な城です。伊達氏が、慶長合戦時に最上領に入ってきた上杉氏をけん制するため、強化した可能性があります。

 戦いで敵の城を取ると、これを改造しました。
 敵は城を知り尽くしているので、改造しないとすぐに取り返されるからです。
 どう改造したか考えるのも楽しいです。
4 近世の仙台藩の城
 近世の城は1600年頃からたくさん築造され、1615年で終わります。
 1615年、武家諸法度に一国一城令が定められ、城の修理と改築が許可制になったためです。

 仙台藩には仙台城と白石城があり、この他に支城がありました。支城は「要害」と呼ばれました。さらに、「所」、「在所」がありました。
 支城の一つである金山(かなやま)要害(丸森町)を見ると、相馬氏との戦いの場になった山城ですが、整備がきちんとされています。
 町には、道路のクランクなど城下町の雰囲気が残ります。

 東北にも中世の城は残っています。まず知って、楽しんでください。
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 以上、東北の城の楽しみ方について、わかりやすく話していただきました。
posted by thmtomo at 2018年05月02日18:24| 【催事報告】 更新情報をチェックする
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